お金のお話

日常生活ではタブーになりがちなお金の話を、堂々とむしろ積極的に語るブログです。

お金より大切なものを考えるときに見落としがちなこと

「人々は金を追いかけ回しすぎてる!世の中にはお金より大切なものがあるのだ!」という、安い道徳心のような考え方は誰しも持ったことがあると思います。確かに、お金よりもそういった正義を大切にすることは崇高な考え方だし、自分がそういう人間だと信じたい気持ちもわからなくはありません。断っておきますが、それ自体が悪い考え方だとは思っていません。

でも、みんなそういう事を考えるときに見落としてる事があります。それは、(ただし、自分が安全地帯にいられるときに限る)、という注釈です。「私はやさしい人がすきです!(ただしイケメンに限る)」と全く同じ構造です。

たとえば、恵まれない人に寄付をしたとします。すばらしいです。 お金より道徳心を大切にしてるかのように見えます。で、いくら寄付しましたか?自分の満足できる生活を脅かされるほどの金額を寄付できませんよね。そうなんです。あなたは、お金より道徳心を大切にしているのではなく、お金があるから道徳心を持つことができたのです。順番が逆なんですね。自分が安全地帯にいられるほど十分なお金をもっているから、道徳心をもつ余裕ができるのですね。

僕はもし、自分の子供が餓死しそうな場面に遭遇したときは、誰かの食べ物を盗むかもしれません。普段、食べ物を盗まないのは、盗まなくて済むほど僕が裕福だからに過ぎません。僕が人より道徳心で優れているわけではないと思ってます。

江戸時代では、年貢を納められないからといって娘を吉原に売ったりすることが横行してました。安全地帯にいれば、「そんなことするなんてひどい親だ」とえらそうな事を言うこともできるでしょう。でも、彼らは裕福になりたい欲望で、子供を手放したわけではないんです。そこを見落としてはいけないと思います。僕らは生まれた時から安全地帯にいるから、それを当然の前提としてでしか、お金と道徳の関係を考えることができないんです。そして、その前提は、あらゆる時代のあらゆる国に共通する概念なんかではなく、僕ら自体が極端に裕福だと考えるべきなんです。

自分がどんな前提で物事をかんがえているかを、たまに振り返ってみるのもいいかもしれません。