お金のお話

日常生活ではタブーになりがちなお金の話を、堂々とむしろ積極的に語るブログです。

政治とカネの問題を、単純に考えると間違える。甘利さんは、単純な悪人なのか。

また、政治とカネの問題が出てきました。甘利さんが、トラブルの仲介として現金を受け取ったことで責任をとり、経済再生担当相を辞任しました。

 

headlines.yahoo.co.jp

 

記事を読むと、ようかんと一緒に現金を受け取るなど、かなり露骨なやりとりがあったようです。さすがにこれが本当なら辞任は仕方ないでしょうね。安倍政権の中心人物の一人だっただけに、政権へのダメージは小さくないことでしょう。

 

ところで、こんなニュースを聞くと、甘利さんの事を私利私欲のために悪に手を染めた悪しき権力者だと、多くの人が決め付けると思います。だが、彼をテレビドラマに出てくるような分かりやすい同一して、酷い政治家もいるもんだな、とサクッと片付けてしまうと、なにか重要な事を見落としてしまうような気がしてしまいます。

 

漫画やテレビドラマに出てくるようなわかりやすい悪人というのは、現実世界ではほとんどいないんだと思います。少なくとも現実的に僕の周りには一人もいません。それぞれの人が、いいところもあり、悪いところもあります。僕だってそうだし、これを読んでいる人もそうだと思います。自分の弱さで罪を犯してしまったり、環境にマヒして重要なことをおろそかにしてしまうこともあるでしょう。

 

そもそも、マンガのような悪人だったとしたならば、このように何度も議員に当選したり、要職まかされるようになんてなれるでしょうか。こういった報道からだと、不正の部分だけに強烈なスポットが当てられるので、他の重要なところが見えにくくなってしまう気がしまうのです。

 

僕が思うに、政治とはとても金のかかる仕事なんだと思います。そして、大物議員はそれを工面するために非常に苦労しているんだともいます。そのためにはグレーな事も色々としなければならないんだと思います。僕は彼らが単純な私利私欲のためにそんなことをしているというふうには、あまり疑いません。

 

もちろん、それでもクリーンであるべきだというのは正論でしょう。でも、自分が命をかけてでも成し遂げたい政治事業があったとして、それには現実問題としてどうしても大金が必要だとしたらどうでしょうか。クリーンであるべきだからといって、さっさとそれを諦めるとしたら、それは立派な政治家でしょうか。

 

あるいは、金集めが必要な構造がおかしい、と訴えたらどうでしょう。それが簡単に解決できるようなことだったら既に誰かがやっていたはずです。その難しい問題に手をつけている間に、自分の本当のやるべきことを後回しにしてまうのは、立派な政治家でしょうか。

 

僕らは、政治家や官僚を完全なる人格者で、身を粉にしながら働き、かつカリスマ性をもったリーダーであるべきだと考えすぎです。そんな人間はいませんよ。僕はときに清濁併せ飲み、リスクをとりながら、国家のために現実的な努力をする政治家を支持します。

 

実際に甘利さんがどんな政治家なのかは、僕はわかりません。たんに権力で自分を見失ってしまったというシナリオも捨てきれないですしね。でも、少なくとも、この種のスキャンダルだけで政治家失格の烙印は押すべきではないと思っています。